【富士山チャレンジ⑨ 学び編8 〜「理想」の未来は「不安」の先にしかない〜】
富士山記事
番外編も合わせて、ようやく二桁いったかな(^^)v
登山も長き道のりだったけど、
こちらも地味だが、長い道のりだった(実質2週間くらいだが笑)
ということで、
今回のテーマは、ちょっと堅苦しいけど、
〜「理想」の未来は「不安」の先にしかない〜
ということで、
今回の富士山の登山も、まさに未知なる領域へのチャレンジだった
未知なる領域
体験したことのないこと
見たことのない景色
わからないことだらけ。
分からないってことは、読めないこと、予測できないこと、
だから、「不安」になる。
人間、環境が変われば、常に不安の感情は生まれるし、ストレスや負荷がかかる。
人間には本来、「恒常性」(ホメオスタシスともいう)という機能が備わっていて、
人間の本来の欲求っていうのは、もう「生きる」ことでしかない。
だから、長生きするために最も!重要なことっていうのは
昨日生きたままに、今日を生きること。
これのリピートが最も安全だ。
昔の恐竜とかがいた時代。
未知なる生物との出会いや遭遇を探求していた人たちと
作った住処から出ずに、家を守り続けていた人 。
どちらが僕らの先祖かは明白だ。
勇敢な人。すなわち、「昨日までと異なること」をして、
行ったことのないところに行き、
見たことのない景色を見に行った人たちは、
きっと命を落としてきた可能性が高い。
だから、僕らは本能的に、
「新しいことにチャレンジすること」なんてする必要がない!
という生存本能がインプットされている。
まして、幸か不幸か、日本は豊かすぎる。
変わる必要なんてない。
普通に生きていれば、死ぬことは99%ない。
普通に生きていれば。
でも、その人生を選択するということは、
「昨日と同じ人生を生き続ける」ということ。
すなわち
「過去の自分がやってきたことを繰り返していく人生」
っていうこと。
確かに、同じことの繰り返しは楽。
何も考えなくて良いから。
でも、もしその生き方を選択したら、
人生って
「過去」
そのものではないか?
過去見てきたものと同じ景色を見て、
過去食べてきたものと同じものを食べて、
過去やってきたことと同じことをやって、
過去選択してきたことを選択し続ける。
間違いなく、その先に刺激的な未来なんてない。
感動なんてない。
感動は期待を上回る「ギャップ」があるから生まれる。
間違っても「想定内」の出来事の中に、「感動」が生まれる要素
なんてない。
そう考えると、そう言った
感動とか
情熱とか、
を体感したいのであれば、
今まで選択しなかったことを選択するしかない。
つまり、
「想定できない未来」=「不安」
の中に飛び込んで行かないといけないってこと。
「不安」ていう用語を聞くと、
味わいたくないもの、感じたくない感情、避けたい感情
という認識があるかもしれないけど、
むしろその先にしか、「理想の未来」は実現しない
としたら、どうだろうか?
捉え方も少しは変わるんじゃないかな?
少なくとも、僕は富士山の登山は
不安でいっぱいだったし、途中、
「なんで登ってんだろう」とか
「無事下山できるのかな」とか
「高山病とかになったらどうしよう」とか
たくさんの「不安」な感情は渦巻いたけど、
やっぱり、その感情の先に、
理想の未来
富士山の登山で言ったら、
息を飲むほどの絶景。
それを見たときに得られる感動。
困難を乗り切ったという達成感。
無事帰れたという安堵感。
生の実感。
など、
味わいたい感情を一気に味わうことができた。
生きてさえいれば、それだけで尊い。
そんな考え方ももちろんある。
でも、自分が生あることを実感できる時って、
やっぱり、チャレンジしたり、理想に向かっている、
その「プロセス」にいるときなんじゃないかなーって思う。
少しでも、勇気づけられる人がいたら良いな♪