ぼくのプロレス学 プロレスから学ぶ処世術

プロレスファン歴17年の若手起業家がプロレスから学んだこと

【プロフェッショナル 仕事の流儀 内藤哲也】

こんにちは。五十嵐将雄(がらし)です。

 

今回は、ちょっと違った切り口で、

私の好きな「プロレス」

そして、「内藤哲也」選手が、NHK

プロフェッショナル 仕事の流儀

に出演されていたのを観て、感じた

行動心理学や成功哲学の原理原則について。

 

 

と、冷静に書き始めてみましたが、、、

 

 

 

めちゃくちゃ興奮しました!!!!

 

自分の感情移入できる人と、

スガシカオの「プログレス」がマッチすると、

こうも涙腺に訴えかけてくるものかと、、、

開始4分で泣きそうになりました笑

 

さておき。笑

 

 

 

やはり、感じたのは、

「人生は等価交換でできている」

という絶対原則について。

 

内藤はセンスもあり、正統派レスラーとしての見た目も良く、新日本プロレスにおける絶対的エース「棚橋弘至

 

内藤はその棚橋の次にエースになる候補として、多くの人から期待されていた。

 

が、なかなか一位の牙城は崩せない。簡単には一流には慣れない。

 

この時点では、棚橋の方が圧倒的に超一流だったのだ。無理もない。

 

 

 

そうこうしているうちに、超彗星のごとく現れたのが、

レインメーカー「オカダカズチカ」だ。

 

新日本プロレスにとっても、

プロレス界にとっても、

ブームを加速させたのは、この若き大スターの出現によるところが大きい。

これは、多くの関係者たちも口を揃えていっている。間違いないだろう。

 

 

だが、内藤(のストーリー)にとって、これは言い換えると

「大きな壁」であり、「大ボス」の登場だった。

 

どれだけ向かっていっても、棚橋に続き、このオカダの牙城も崩せなかった。

 

たまに勝つことはあった。

ただ、それは一時的な勝利にしかすぎず、「存在感」や「影響力」といった「本質的」な部分では、全く太刀打ちできていなかった。

(現に私も、この頃の内藤のことはマジで嫌いだった。笑)

 

そこから、内藤の奔走と試行錯誤が始まる。

 

そして、運命を変えたメキシコ遠征。

 

内藤は、自分の中にある光、「エネルギーの源泉」

「自分の志」を思い出すことになる。

 

言わば、内藤は気づけば自分がプロレスラーになりたかった、純粋な気持ちではなく、気づけば「お客さんの声援がほしいから」といった、本当の自分とは違うものをエネルギーにして頑張ってしまっていた

ということ。

自分らしくいることよりも、気づけば、

「周りの期待に応える」自分を演じる方を優先してしまっていた。

 

だが、それは違かったということに気づき、

改めて自分の本心にしたがって、プロレスをするようになった。

 

最初は観客も周りの人たちも、

「あいつ何やってんだ?」

という、懐疑的な目で内藤をみていた。

かなり否定的な意見が多かったと思う。

(現に私も、この頃の内藤の挙動一つ一つにマジでイライラしていた。笑)

 

でも、内藤は貫いた。

他人の声は所詮他人の声。

自分は自分の心の声に従う。信じる道をいく。

 

結果、内藤は一年も立たないうちに、周囲から自分への目線を圧倒的に変えてしまった。

 

あれだけ、ブーイングの嵐だった観客たちが、

内藤の挙動や振る舞い一つ一つに歓喜していた。

 

野上アナウンサーの名言。

「主役になると言わなくなった今、主役になってほしいと願う声が聞こえてきます。」

「夢を語らなくなった内藤に、ファンが夢を見始めている!」

 

そう。

人が共感するストーリーというのは、

決して「演じてる人」とか「嘘の自分」なんかじゃない。

 

等身大の自分で、大きな目標に向かって、進んでいくこと。

立ち向かっていくこと。

言ってることとやってることが一致していること。

 

そういった要因が重なって、人は応援されるストーリーを歩んでいける。

 

その後の内藤の活躍は、周知の通り、

プロレス大賞二年連続MVP

これは、ただ結果を出せば得られるものじゃない。

ただ強ければいいってもんじゃない。

 

本当の意味で、関係者からもファンからも、

「支持されている」ということがなければ、

絶対に得られない勲章。それを成し遂げた。

しかも、二年連続という快挙。

 

前置きが長くなってしまったけど、

冒頭に述べた「等価交換の法則」

というのは、人生は

自分が投下したエネルギーの対価しか、跳ね返ってこない。

という絶対原則。

 

内藤は、もしあのまま「オカダカズチカ」という

「大きな壁」であり、「大ボス」と出会うことがなければ、

「まぁまぁ」の結果に甘んじていて、大きく自分を変えることをしなかった。

だから、あの時の内藤には「まぁまぁ」の声援と「まぁまぁ」の期待と「まぁまぁ」の結果しか得られていなかった。

 

でも、強大な敵(課題)の出現によって、内藤は

「今のままの自分では、このストーリーは進まない」

という現実に直面した。

 

だから、「変わらざるをえなかった」

 

その結果、また、自分の人生に対して、注ぐエネルギーの総量を増やすしかなかった。

そのための方法手段を模索して、探し続けて、

「こうしたらうまくいくのでは?」という仮説と

「じゃあやってみよう」という検証を積み重ねて、

多くのエネルギーを自分のプロレス人生に注ぐことになった。

 

だからこそ、それが多くのファンからの応援というエネルギーと重なった時に、他の誰にも生み出せなかった超巨大なエネルギーとなって、新日本プロレスに、プロレス界に

一大ムーブメントを巻き起こせた。

 

ということだと、私は解釈している。

 

つくづく思った。

 

だから、プロレスは面白い。

 

人生は、みんな自分が自分というストーリーの主人公だ。

 

でも、普通に生きていると、自分の日常がストーリーになるなんて、全く思えない。

 

でも、プロレスは、毎日が勝負だ。

毎日が、観客からの反応。会社からの評価。

ダイレクトに跳ね返ってくる。

 

だからこそ、うまくいく時もあれば、うまくいかない時も、多くの人が歩んでいる人生より、晒される機会が多い。

でも、それがすべてそのレスラーの評価であり、影響力に直結してくる。

すべてが、そのレスラーに感情移入できるエッセンスになる。

 

ただの、強い弱いを決めるだけの「ガチンコ」の格闘技には出せないプロレスの魅力がそこにあると思っている。

(自分は総合格闘技とか、ガチの格闘技も普通に見ます)

プロレスは、ただの戦いじゃない。

 

一つのストーリーであり、

一人一人のレスラーの

人間賛歌

だなと。

 

改めて思った。

 

でも、こういったストーリーを、レスラーとか、特別な職業じゃなくても、一人一人の人が創っていけると信じている。

というか、誰しもが、自分の人生においては

誰になんと言われようと、

主人公なのだから。

 

少し、主観も混じってしまう記事になってしまったけど、

 

 

プロレス最高!

内藤哲也最高!

 

 

NHKさんありがとう!!

 

長くなってしまったけど、ここまで見てくれた人がいたら、

グラシアス!

 

アディオス!!